講師紹介

講師経歴

学生時代
京都大学で数学を専攻

教員時代
高等学校で数学科教諭として勤務

きものを学ぶ
自装・他装・和裁を学び、
ホテル美容室で着付け師として勤務

講師活動へ
旧安川邸での着付け講座を機に、講師活動を本格化

2024年3月
「着付け教室 きもの七月」を開校


現在も京都の師のもとで学びを重ね、
産地の作り手を訪ねながら
きもの探究を続けています。

私ときもの

幼い日に母に着せてもらった、一枚の浴衣。
「私ときものの物語」をお話しします。


母に着せてもらった、幼い日の思い出


私の記憶にある
最も古いきものの思い出。

それは、
盆踊りの日に母が着せてくれた
白地の浴衣です。

夕方早くにお風呂に入って、
畳の部屋で着せてもらって。

ピンクのふわふわの帯が嬉しくて、
ぽわん、ぽわんと、揺らして歩きました。

ちなみに、
私の十八番は「たんこむし(炭坑節)」だったようです。

自分で着始めた、中学生のころ


中学生になると、
自分で浴衣を着るようになりました。

悩みに悩んで買ってもらった
水色の浴衣に、黄色い作り帯。
大きなリボンを差し込むタイプです。

一緒に入っていた説明書を広げて、
ひとり、鏡の前で四苦八苦して。

汗を流してさっぱりしたはずの身体は、
いつしか浴衣の色が変わるほど。

約束の時間が迫ってくるのに、
どうしてもうまく着られなくて。

何度も何度もやり直して、
どうにかこうにか着て行ったのでした。


京都で過ごした学生時代


自分で「きもの」を着るようになりました。

腰ひも、伊達締め、帯枕…
たくさんの着付け道具を少しずつ集めて、
長襦袢を着て、きものを着て、お太鼓結びをするようになりました。

そのころの私の先生は、
着付けの本と付録のDVD。

一度だけ、
着付け教室へ行ったこともありました。

そこで先生から
「あの人みたいな、もっと”ちゃんとしたきもの”を持ってきなさい」と言われて、

ほかのきものを持っていなかった私は、
それきり、教室へ行けなくなりました。

お金はあんまりなくても、
時間はいっぱいあった学生生活。


きものの調達は、主にお寺の市でした。

組み合わせもよく分からないまま、
「きれい!」と思ったものに手を伸ばして。

帰りは自転車のかごいっぱいに
帯や小物を詰めこんで、
小さな下宿へ、ほくほく戻りました。

桜に、新緑、真っ赤な紅葉。
きものが似合う、京都の街。

きもので歩いていると、
街の方がよく声をかけてくださいました。

「まぁ、自分で着はったん?上手に着れてるわぁ。」
「あなた素敵よ!花火に行くの?楽しんできてね~」

優しい言葉に背中を押されながら、
きもので出かけることを
心から楽しんだ学生時代でした。


やがて私は
ある夢を抱くようになります。


「いつか、
おばあちゃんになったら。

きもので暮らす
素敵なおばあちゃんになりたい。」


大学を卒業した私は
もう一つの念願だった夢を叶えて、
高校の数学教諭になりました。



教えることに真剣に取り組んだ教員時代



「こんなに楽しそうに授業する先生は見たことがない」
と言われる教員でした。

プライベートはほとんどなくて
きものからは遠ざかりましたが、

第3学年の担任を持つと決まったとき、
私が真っ先にしたのは
卒業式で着る、きものと袴の予約でした。

きものへの思いは、
忙しい日々の奥にも
小さく残り続けていたのだと思います。

その後、
結婚に伴う引っ越しのため
わたしは教壇を降りました。



きもので背伸びした東京DAYS


猛烈に働いていた教員時代から一転、
時間に余裕ができたころ。

わたしは再び、きものを着るようになりました。

東京で再会した幼なじみが
呉服屋さんで働いていたこともあり、
着付けや、きもの選びについて、たくさん教えてもらいました。

「きちんとした装い」に目覚めたのも、この頃です。

きもので川越に遊びに行ったり、

和の趣きが美しいホテルへ
お茶しに行ったり。

きもので出かけると
いつもより丁寧に迎えてもらえる。

関東での日々は、
私に「きもので背伸びする楽しさ」を
教えてくれました。

「もっときれいに、
もっと美しく着られるようになりたい」

そう願った私は、
再び 着付け教室の門をたたきます。

学びの甲斐あって
数ミリのズレや ゆがみを
修正できるようになり、
きれいに着られるようになっていきました。

友人の結婚式に
お祝いの気持ちを込めて
きもので参列するなど、

装いに想いを込められるようになり、
ますます
きものが大切な存在になりました。


「いつか」を問い直した、父との別れ

その後、
子どもが生まれたり
関西へ引っ越したりと、
楽しくも目まぐるしい毎日。

わずかな時間を見つけては、
ほんのひとときだけ、きものを楽しんでいました。


そのころ、父が他界しました。

60歳。
早すぎると言われる旅立ちでした。


「おばあちゃんになったら、きもので暮らしたい」

そう思っていたけれど、

「そもそも私は、おばあちゃんになれるのかな。」

もし無事になれたとしても、
今とは違う状況になっていて
きものを着ることが難しくなっているかもしれない。

父との別れは、
「いつか」は必ず訪れるものではないと
私に教えてくれました。



それならば。



きもので通した三日間

夫が出張で留守の間に、
きもの暮らしを試してみることにしました。

手持ちのきものは正絹ばかり。
この日のために
洗える木綿きものを注文して、準備は万端です。

そしてついに、決行の日。

朝からきものを着て、
リュックを背負って
当時2歳の息子と、いつもの公園へ。

抱っこして、おんぶして、
一緒にローラー滑り台を降りて、砂場で遊んで。

いつものスーパーへの買い物も、
料理も、お風呂洗いも、ずっと きものです。

「すごい!
きものでも、意外と普通に動けるんだ!」

そうして三日間の「きもの暮らし」を満喫した私は、
緊張のときを迎えます。

そう、今日は夫が帰ってくる日。

「きもので暮らしたい」と、打ち明けた日


きもの姿の私を見た夫は、
「おや、きもの!」と、
可もなく不可もない反応でした。

そしてその夜、
「これからきもので暮らしてみたいんだけど、いいかな…」
と打ち明けてみると…

「何の問題もないよ。
そっか…それはもう、才能だね。」

息子にも聞いてみました。

「お母さん、これからもきもの着てていい?
きもの着てても抱っこできるし、
今までどおり遊べるよ。」

「うん、きもの着ていいよ~!」

家族の返事は
拍子抜けするほど、あっさりOK。

その日を境に、
私にとってはきものが
「お出かけ着」から「毎日の服」に変わったのでした。

「きもの生活」スタート

それからは、昼も夜も和服の日々です。

雨の日も、風の日も。

揚げ物も、公園遊びも。

昼はきものを着て、
夜は浴衣で眠りました。


毎日、長時間着るとなれば、
着心地も
着崩れない安定感も、
ごまかしがききません。

きものを着る毎日は
ただただ楽しい。

けれど
きれいに着るだけの着付けでは、
きもの暮らしは続かないかもしれない…


そう感じた私は、
「暮らしの中できものを着ましょう」と掲げる
着付け教室に通うことにしました。

すでに一通り着られる私でしたが、
浴衣の着付けから学び直すことに。


「どれくらい新しいことを学べるのかな」
と思って受けた最初の講座で

これまでの「きもの観」が
ひっくり返るほどの衝撃を受けました。


「私は、きものの力を生かしきれてなかったんだ…」


先生からいただけるのはヒントだけ。
「答えは きものの中に あります」

あとは
日々の暮らしで実践して、
自分で答えを見つけなければなりません。


毎日、毎日
きものを着ているうちに、

ある日唐突に、その瞬間が訪れます。

きものが「着るお守り」になった夜


お風呂上り、
いつも通りに浴衣を着たつもりだったのですが
「うわぁ!」と思わず声が出てしまいました。

浴衣を着て立っているだけなのに、
びっくりするほど心地よいのです。

「なんだ、これは…!」

これまでに感じたことのない感覚でした。

やさしく包まれて
守られているような安心感と、
どこへだって行けそうな、軽やかさ、勇気。

寝支度をして布団に入ってからも
また驚きました。

「寝たときの心地よさもすごい…!」

うわぁ、和服ってこういうことなんだ…

きものは着方によっては、
苦しくなったり、肩がこったり。

強い力を持った衣服であるとは
感じていましたが、

その力が味方についたとき
こんなにも深い安らぎを与えてくれるなんて。

静かな夜。

一人 布団の中で
涙と笑いがこみ上げてきました。

幼い日に母が着せてくれた浴衣から
ずいぶん遠くまで来たような。

ようやく
その奥にあるものに
触れられたような。

その夜、
きものは私にとって
心と身体に寄り添ってくれる
「着るお守り」になったのでした。

再び「先生」と呼ばれる日々へ


その後、
私は和裁教室に通って
簡単な仕立てを自分でできるようになったり、

人に着せる技術を学んで
ホテルの美容室で
着付け師として働くようになったり。

ますますきものに没頭する日々です。

暑い夏も、寒い冬も、きもの生活。

北九州に引っ越してからは
きもので自転車に乗っていたせいか、
ご近所の方にもすぐに覚えていただけました。

そうすると、
あちこちから相談が寄せられます。

「着付けを教えてほしい」
「家にあるきものを見てもらいたい」
「今度の行事に、何を着て行ったらいいと思う?」

きもののお手伝いをする機会が
少しずつ増えていきました。

やがて、
北九州市の指定有形文化財である
旧安川邸さんから

「ここで着付け講座をしていただけませんか」


私は再び、

きものの世界で
「先生」と呼ばれる道を
歩み始めることになりました。

「先生」であるために、「弟子」になる

教室にお越しくださる生徒さんは、
年齢もご経験も、きものを着たい理由もさまざま。

寄せられるお悩みは
かつての私に重なることもあれば、
自分一人では出合えなかったテーマもありました。

お一人おひとりのお話を伺って
課題に向き合うほど、

「もっと、きもののことを知らなければ」

という思いが強くなっていきます。


京都の師匠を再び訪ねよう。

今度は
きものファンの皆さまにとって
本当に役立つことを
伝えられる講師になるために。

「先生」であり続けるために
「弟子」となって、

きものを根本から
深堀りして学ぶ日々が始まりました。

きものの向こうにあるもの

学びを深めるにつれて、
少しずつ見えるようになったものがあります。

糸が生まれ
人の手を渡りながら布になり、
私たちのもとへ届くまでの長い道のりです。

作り手のもとを訪ねて
お話を伺うと、

着る人を思う細やかな
工夫や心遣いが

ひとつ
またひとつと見えてきます。


美しい自然の恵み

途方もないほどの時間と手間。

長く心地よく使えるように
根気強く重ねられた

ごまかしのない仕事。


知れば知るほど、
きものを見る目が
変わっていきました。



その一方で、
あかりが急速に消えている現実を
目の当たりにすることにもなりました。


私自身の経験でも
「いつか欲しい」と思っていたものが
次の季節には、もう作られていない…

それも
一度や二度の話ではありませんでした。


知らないまま通り過ぎて、
価値に気づいたときには、
もう出合えなくなっている。

それは、あまりにも惜しいことだと思いました。

知ることで、きものはもっと自由になる


かつての私も、
きものの良さを
見た目だけでは十分に分かりませんでした。

値段を見て、
「私には贅沢すぎる…」と
遠ざけてしまうこともありました。

けれど、
きものが作られた道筋をたどり、
実際に着て、暮らしの中で使ってみると、

自分にとって何が心地よくて、
何を大切にしたいのかが
少しずつ分かるようになってきました。

高価なものを持つことだけが
豊かであるとは限りません。

自分が惚れ込んだ一反と出合い、
心地よさに包まれて
長い時間を共にしていくこと。

それが、
きものを本当の意味で自由に楽しむことだと
今の私は思っています。

きもののあかりを、未来へ

素材の美しさ
織物に込められた知恵

身にまとうことで分かる
心地よさ。

使い込むほど育っていく
布の表情。


きものの中にある小さなあかりを
ひとつずつ掬い上げて、
皆さんと分かち合える場所をつくりたい。

分からないことを、気兼ねなく尋ねられて。

実際に見て、触れて、手を動かしながら、
「そうだったのか」と一緒に驚いて。

ときには笑い、
ときには鳥肌が立つほど心を動かされる。

きもの七月は
そんな学びの場でありたいと思っています。


思えば、私ときものの始まりは、
母に着せてもらった
あの白い浴衣でした。

夕暮れどきの畳の部屋。

母の手で着せてもらって
ふわふわの帯を
ぽわん、ぽわんと揺らして歩いた
幼い日の私。

あの日、母から受け取ったものを
今度は私が
次の方へ手渡していく番です。

きものはやさしい「着るお守り」。

きもののあかりが
皆さまの日々の片隅を照らして、
さらに先の未来へと
末長く受け継がれていきますように。


ここまでお読みくださり、
ありがとうございました。

あなたにとっても
きものがやさしい「着るお守り」と
なりますように。